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西部地域における高速道路整備
「成都ー重慶」高速道路
成都から重慶までは340kmの高速道路(写真参照:「成都-重慶高速道路」)が開通し、片道で4時間程度。成都−重慶の中間地点(内江市)より南に107kmの宜賓市間の内宜高速道路と楽山(成都の南南東166km)、雅安(成都の南西94km)、成都−綿陽間の唐家寺(成都より112km)までの高速道路は開通し、南充(成都の東330k)までの高速道路の完成予定は2002年中に完成する予定(参照:本欄「成都〜重慶間の高速道路地図」)。現在、高速道路の開発ばかりでなく、都市部環状線(第三環状線)の建設が着工されており、工事区間の都市開発も着々と進んでいる。また今後、都市部の人ロ分散のため第四環状線も計画されている。
成都ー重慶高速道路 (写真:IHCC) 成都市内の環状高速

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西南道路・出海通路全線貫通
四川省・貴州省・広西省間を結ぶ“西南主幹線道路〔出海通路〕”(全長1,709km)が14年の年月を要し、2001年12月4日、全線完工した。この路線は、北は四川省の成都、貴州省の貴陽、広西壮族自治区の南寧を経由し、北海まで続く。投資総額は約255億元。全線、高規格道路で構成され、そのうち1,015kmは高速道路である。西南道路の完成後、全線の所用時間は大型トラックや一般大型バスは約30時間、乗用車は20時間ほどまでに短縮された。これにより、地方の旅行客あるいは沿線の資源開発を活発化させると期待されている。この路線は、地形が複雑で、きわめて厳しいものであった。全線のうち、橋梁は1,089本。とくに貴州省内の工事が難行した。この路線は、「北京−瀋陽」間の主幹線道路、「北京−上海」間の主幹線道路に続いで、三番目となる主幹線道路(西南主幹線道路)である。
このルートとは別に、成都から四川省内を南下し西昌市(西昌市の南北は高速道路が供用=写真参照)を経由して、雲南省の首都・昆民までを結ぶ高速道路が、現在建設されつつある。このルートは「五従七横」路線のうちの「中国(華中〜華南)高速公路網=地図参照」(五縦)を結ぶものでもある。
【重慶〜南部・沿海部(広東省湛江市)、高速道路が全面開通へ】 また、重慶から最短距離で中国南部の広東省へ至る「重慶〜南部・沿海部(広東省湛江市=地図参照)」区間を結ぶ高速道路が2005年末に全面開通する。これにより、両都市間は約12時間で結ばれる。
【重慶市、海まで車で15時間に 高速道路開通で】
重慶市と広東省湛江市を結ぶ「中国西南出海高速道路」のうち、未開通だった貴州省「崇渓河〜遵義」区間が2005年12月26日開通した。これにより、全長1,314kmに及ぶ同高速道路が全線開通し、重慶市・貴州省・広西チワン族自治区・広東省が一本の道で結ばれた。「中国西南出海高速道路」は西部大開発の交通インフラ整備の重要プロジェクトとして建設された。重慶市と中国南部の沿海部を直結する大動脈となる。同高速道路開通により、重慶市・湛江市間の車での所要時間は約15時間に短縮された。これまでは重慶市から貴州省貴陽市までの440kmだけで、1〜2日かかっていた。ーー(2005年12月27日)

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(参照):本欄「中国・昆民と成都を結ぶ高速道路」(写真)
(参照):本欄「雲南省の高速道路整備状況」
(参照):本欄「高速道路の整備状況」(地図)
WTO加盟と西部地域のインフラ建設
WTOの前身である関税・貿易一般協定(GATT)に加盟申請して以来、15年ぶりに、中国の世界貿易機関(WTO)加盟が、2001年11月10日、正式に承認された。猶予期間があるとはいえ、中国はこれで国際通商ルールが適用されることになり、実質的な経済の開放が始まる。
これまでの各国との加盟協議の結果、
1)中国は工業製品で、現在平均16%以上の関税を2010年までに8%に引き下げる。
2)加盟後12年間は、他の加盟国は中国を対象にした緊急輸入制限(セーフガード)を発動できる
3)加盟後15年間、加盟国は厳格なデータなしでも中国への反ダンピング措置をとれる
−−などの特別措置が課されている。
今や世界の製造工場となりつつある中国ではあるが、長らく二桁台で推移していた経済成長率も、1992年をピークに鈍化し始めた。その背景には、経済改革の進展にもかかわらず国有企業の改革の進展があまり芳しくない、という現実問題がある。この根本的解決策として、中国政府が受け入れたのが、今回のWTO加盟といえる。そのことは、中国自体、グローバル・スタンダードを取り入れ、世界と競争できる実力をつけることが“国是”となったといえる。
ところで、かつてトウ小平は「南巡講話」において、「まず、一部の人々や地域が先に豊か(先富)になって、遅れた地域を助ける」べきだと、述べ、その後の中国沿海地域の経済復興をもたらした。しかし先般のアジア通貨・経済危機の勃発、さらには今回のニューヨークでの同時多発テロ事件など、により主だった輸出先でもあるアジア・北米経済に陰りが見えはじめた昨今、経済成長を支える意味でも、中国の中西部、西部地域の開発ならびに同地域の経済振興(最終消費市場化)は揺るがせないものとなっている。
そもそも、「西部大開発」構想が論議決定されたのは、1999年11月に開催された中央経済工作会議であった。その後、翌2000年1月の西部開発会議で具体化に向けて動きだした。これは同時に第10次5カ年計画(2001〜05年)とも符合するものである。
過去これまでに、西部開発が叫ばれたことは二度ある。一つは、1930年代からの抗日戦のために築かれた「内陸根拠地」政策。さらには新中国成立後の、東西冷戦と、それに伴う中ソ対立時代にうち立てられた「三線建設」である。すなわち、東部沿海と国境近辺地帯を「第一線」、北京と広州をむすぶ線周辺を「第二線」、さらにその内陸地域を「第三線」と呼んでいる。
当時の「第三線」構想の問題点は、全面核戦争を前提とした後方基地建設という性質上、補給面としてのインフラ建設(主に鉄道)が重要視されたことである。しかもその経路は、沿海地域ではなく、同じ内陸部(例えば、内混鉄道や重慶−懐化鉄道)をむすぶものである。これに対して、今回の西部大開発では点在する都市を、鉄道や高速道路といった交通インフラで点から線へと連結することで相互発展が期待される。
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